けろけろの想う日々

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SNSから離れてもメリットが無かった話

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 若者としての必須アプリであるSNS

もはやSNSを利用していない若者は若者として扱われないし、おそらく広い交友関係も持てないだろう。

そんな私はTwitterInstagramをバリバリやるTHE若者である。えっへん。

数分手が空いたとき、電車に乗っているとき、忙しいけどふとスマホを触れたとき、ついついSNSを開いてしまう。

暇だろうが忙しがろうがとにかく開いてしまう。

SNSがそんなに重要ではないことぐらい分かる。

フォローしている人たちなどぶっちゃけどうでもいい。

ドライブしている姿やラーメンやデート中の画像を観たところで面白いわけではない。

でもふと手が空くと見てしまうのだ。

良くない。むしろスマホをずっといじってしまうのは目にも首にも頭にも悪い。

だからSNSから離れよう。

そう思い自分のスマホからインスタを削除した。

まあ元々インスタにはうんざりしていた部分もあった。

ご存知の方もいると思うが、インスタとは承認欲求を刺激する悪魔のスパイスである。

あの人があんな良いところに行っている、良いモノを買っている食べている。

そんな投稿を見ていると自分もあれしたいこれしたい買いたい、それを周りに知らせたい、いいねが欲しい。

そういういわゆる承認欲求を究極的に刺激してくるのだ。

だが、自分もその承認欲求の沼に片足突っ込みかけたときに気づいた。

 

 

意味無くね?

 

そうだ、離れよう。インスタなんかくそくらえだ。

そう決心して私のスマホからインスタをアンインストールした。

晴れて脱SNSの第一歩となったのだ。

いきなりTwitterもアンインストールするのはちょっと禁断症状などが体に表れることを恐れて、まずはインスタからだった。

しかもTwitterは有益な情報収集にも使えるからね。

私はこれまでインスタに費やしてた時間を読書や勉強、ブログなどの時間に充てることにした。

こうして私は誰にも劣らない努力と時間管理によってデキる大人になったとさ。

 

 

とはいかないのがスマホ依存症の怖いところだ。

さて、インスタを私のスマホから消し去ったところまでは良かった。

ついつい開きたくても物理的に開くことができないからだ。

だが、そのインスタのアプリをタップしたがる指はどこへ向かうのかというと、青い鳥のアイコンのTwitterである。

そう、インスタをダラダラと見ていた時間はそっくりそのままTwitterをダラダラ見る時間へと変貌しただけであった。

なんにも意味がない。何のためにインスタを見れなくしたのか

分かる。分かるんだよ。自分には心底どうでもいい友人たちの動向を見る時間を、とっても有益な時間に、将来の自分に何か良い影響を与えるステキな時間に変えたかったからだ。

それがただただTwitterで異常独身男性の自嘲と抗いの限界ツイートを見る時間にしてしまった。

そんなものを見て何が楽しいのか。いや面白いから見てしまうのだ。このままでは私自身も異常独身男性の仲間入りになることをつゆ知らずに。

 

さて、インスタをアンインストールしたのは半年ほど前のこと。

今ではしっかり私のスマホの中にはインスタのアプリが入っている。

結局入れてしまう。意味が無いから。

この自分の一覧の愚かな行動を顧みて思い出したことがあった。

それは中学の同級生であった2人のことだ。

彼らは頭が良かったので高校はそれぞれ異なる県内有数の進学校に通っていた。

だが彼らは大学受験で志望校に落ちてしまい浪人することになった。

その浪人期間では片方はTwitterを消して、もう片方はTwitterを消さずよく予備校に関するツイートをしていた。

結果、一浪後の大学受験はどうだったのか。

めでたいことに二人とも第一志望の大学に受かったのである。

そう、自分がなにかやらなければならないことをするために、時間を浪費してしまうモノを手の届くところに置くか置かないかは、それほど重要ではないことなのだ。

結局はモノの有無ではなく、本気でやるんだという強い意志の有無なのだ。

つまり、私には脱SNSの強い意志は端から無かった。

インスタを消したのはただの自己満足であった。

だから、再びインスタをインストールした。

見たいときは躊躇せずタップする。

でも、読書や勉強、ブログなど、今やらないとと思ったことはすぐに行動に移す。

それだけでいいんだ。

SNSの見かけのパフォーマンスには何もメリットが無かったのだった。